安達太良山-2010-11 ― 2010年12月23日 16時35分27秒
昨年に続き、二年連続となった安達太良山行は、あいにくの天気でしたが、くろがね小屋のショッピング(笑)と、
僧悟台コース踏破という目標を達成する事ができました。
ただ、下山時の"滑落"は今後の山行に、大きな不安を残した事は事実であり、その要因たる左膝と今後どのように付き合っていくべきか、 正直、悩ましい事です。
下りで発症する膝の痛みの原因が、日頃の運動不足から来るものなのか、それとも加齢による衰えなのかは素人の私には分かりませんが、たぶん、その両方なのだと思います。
嘗て、当たり前に出来た事が出来なくなるという現実に、暗澹たる思いもしますが、今後はそれに沿った対応を心がけるしかないのでしょう。
今回の山行での反省点は幾つもありますが、その一つに"くろがね小屋"で二時間近くも、雨混じりの風に吹かれながら開店を待った事が挙げられます。
身体が冷え、体調を崩す恐れが十分に考えられますし、何よりも此処でのタイムロスが、先を急がせる余裕のない山行となったのです。
ネタとしては面白いのですが、ベルトを忘れ、ずり落ちるズボンでの山歩きは、精神衛生上非常にマイナスとなりました。
山にコンビニはないのです、装備の確認を徹底すよう肝に銘じました。
それと、雨の為とはいえ、写真があまりに少な過ぎたのは残念でした。
確かに、平地は晴天ではありましたが、山の天候がそれと同じはずもなく、これもまた、準備不足と言えるでしょう。
防水機能のカメラを用意せずとも、雨天時に使える専用グッズがあるかもしれないので、あらためて探したいと思います。
下の図は今回の安達太良山行のGPSログです。 上のログから"見晴し台"から、"馬返し"までを書き写したのが下の図です。
"笹平"の分岐から、地図の破線をトレースしていたログが、黄破線の丸で囲んだ地点から南に外れて行った事がわかると思います。
赤破線の丸で囲んだ部分を拡大したのが下の図です。
御覧のように等高線の間隔が非常に狭い場所で、"壁と見まがう急峻な坂道"と書いた場所です。
そして、"×印"はたぶん滑落した地点と思われます。
たぶんとは、そこでの写真がないことから、自分の記憶とログを照合して付けた印だからですが、それ程の相違はないと思います。
先に、今回の山行の反省点をいくつか記しましたが、最大の反省点というか、誤算はこの地図だったといえます。
地図から受ける印象は、緩やかに下りながら、"馬返し"に辿り着く道でありましたが、その道を辿る事が出来なかったのです。
地図の道が正しいなら、黄破線で囲んだ地点には分岐するもう一つの道があったはずですが、私は見つける事が出来ませんでした。
それとも、地図の道はすでに廃道となり、森と化しているのかもしれません。
"もしも"を想像しても仕方がないのですが、今回辿った道を逆回りで行ったならば、どんな山行となっていたのでしょう。
新たな想いが沸いて来たのも、正直な今の気持です。
あらためて、安達太良山は良い山だと思います。
ただ、下山時の"滑落"は今後の山行に、大きな不安を残した事は事実であり、その要因たる左膝と今後どのように付き合っていくべきか、 正直、悩ましい事です。
下りで発症する膝の痛みの原因が、日頃の運動不足から来るものなのか、それとも加齢による衰えなのかは素人の私には分かりませんが、たぶん、その両方なのだと思います。
嘗て、当たり前に出来た事が出来なくなるという現実に、暗澹たる思いもしますが、今後はそれに沿った対応を心がけるしかないのでしょう。
今回の山行での反省点は幾つもありますが、その一つに"くろがね小屋"で二時間近くも、雨混じりの風に吹かれながら開店を待った事が挙げられます。
身体が冷え、体調を崩す恐れが十分に考えられますし、何よりも此処でのタイムロスが、先を急がせる余裕のない山行となったのです。
ネタとしては面白いのですが、ベルトを忘れ、ずり落ちるズボンでの山歩きは、精神衛生上非常にマイナスとなりました。
山にコンビニはないのです、装備の確認を徹底すよう肝に銘じました。
それと、雨の為とはいえ、写真があまりに少な過ぎたのは残念でした。
確かに、平地は晴天ではありましたが、山の天候がそれと同じはずもなく、これもまた、準備不足と言えるでしょう。
防水機能のカメラを用意せずとも、雨天時に使える専用グッズがあるかもしれないので、あらためて探したいと思います。
下の図は今回の安達太良山行のGPSログです。 上のログから"見晴し台"から、"馬返し"までを書き写したのが下の図です。
"笹平"の分岐から、地図の破線をトレースしていたログが、黄破線の丸で囲んだ地点から南に外れて行った事がわかると思います。
赤破線の丸で囲んだ部分を拡大したのが下の図です。
御覧のように等高線の間隔が非常に狭い場所で、"壁と見まがう急峻な坂道"と書いた場所です。
そして、"×印"はたぶん滑落した地点と思われます。
たぶんとは、そこでの写真がないことから、自分の記憶とログを照合して付けた印だからですが、それ程の相違はないと思います。
先に、今回の山行の反省点をいくつか記しましたが、最大の反省点というか、誤算はこの地図だったといえます。
地図から受ける印象は、緩やかに下りながら、"馬返し"に辿り着く道でありましたが、その道を辿る事が出来なかったのです。
地図の道が正しいなら、黄破線で囲んだ地点には分岐するもう一つの道があったはずですが、私は見つける事が出来ませんでした。
それとも、地図の道はすでに廃道となり、森と化しているのかもしれません。
"もしも"を想像しても仕方がないのですが、今回辿った道を逆回りで行ったならば、どんな山行となっていたのでしょう。
新たな想いが沸いて来たのも、正直な今の気持です。
あらためて、安達太良山は良い山だと思います。
安達太良山-2010-10 ― 2010年12月11日 23時25分19秒
"僧悟台経由塩沢登山口"を示すこの案内標識の下に「僧悟台経由で登山するハイカーへ」と題した注意書きが
あったので読んでみる。
"高山植物保護のため・・・整備はいたしません。"それはそれで良いと思うよ。
"霧の時など・・雨水の流れによって迷路の地域があります"って、まさに今がその時じゃないですか!
"コースを熟知した先達で入山を要望します。"えっ、今日初めて来たんですけどー。
・・・・・・・・
・・・・・・・・。
"危険をともないます"
"危険をともないます"
"危険をともないます"
どーする、オレ?
ハイ、それ承知で来ていまーす。
実を言えば、先に今回の安達太良登山のもう一つの目的と書いたが、その目的こそ、 何を隠そう、この僧悟台の踏破なのであーる。(で、大丈夫なわけ?)
昨年は塩沢口から安達太良山頂の往復だった事もあり、くろがね小屋へ行くついでに、去年とは違う道を歩きたいという 安易な思いつきで選んだコースが、今行こうとする僧悟台の道なのである。(やっぱり、思いつきか・・・。)
この僧悟台のコースを地図で見る限り、登山道を示す破線は湯川を目指し、なだらかに破綻無く下っている。
それはある意味、単調でつまらないと言えるかもしれない。
しかし、問題なのは"地理的判断"にやや難がある"先達"でない私が行くという事なのである。
道を見失う不安と、右膝の痛みが相まって不安極まりないのだが、ここまで来た以上、先に進む以外、まさしく道は無いのである。(困ったねー)
意を決し、ターニングポイントと自ら決めたあの場所、そう、あの"馬返し"を目指し、再び笹の道を下り始めた。
見晴らしの悪い笹の道をどれ程下って来ただろう。
笹の斜面が切れ、やっと、視界の開けた平坦な場所に出る事ができた。
谷の底のようなその場所は、大きな岩が此処そこに転がっていて、ふと見上げた空に、鉄山と思しき岩肌が風に千切れた霧の隙間から垣間見えた。
私は道脇の少し平べったい岩にザックを下ろし小休止とした。
しかし、ここはなんて静かなのだろう、頭上の霧は確かに流れてはいるのだが、それさえ遠い所の景色のようである。
暫くの間、私は呆けたように岩や枯れ枝を舐めるように流れる霧を見ていた。
どれ程の時間そうしていたのだろう。突然、霧の向うから甲高い鳥の鳴き声に我に返った。
先は長いのである。鳥の鳴き声を合図に、再び身支度を整え(ずり落ちるズボンを引き上げ)、どこか殺伐としたこの風景を後にした。
長く休んでいた気がしていたが、後にGPSのログで確認したところ、この場所に居たのはたかだか7分間であった。ちょっと不思議な気がした。
この後、少し登り返すと背の高い石楠花の木々を縫うような道が続くのだが、多少の上り下りはあっても、概ね緩やかに下って行くのである。
途中に、二箇所程小さな沢を渡渉する場所があった。対岸の踏み跡が見え難い事もあり道を見失う不安を感じたが、なんとか先に続く道を見つけ進む事が出来た。
ただ、注意にもあったように木々の枝払いなどの手が入っていない事もあり、伸びるに任せた枝に道が覆い隠されている箇所に何度も遭遇した。
石楠花のトンネル道はほとんどが堀と化しており、そのほとんどに雨水が溜りぬかるみとなっていた。
右膝を庇いながら、滑りやすい堀に降りる動作はぎこちなく、一段と体力を消耗させる事となった。
それ故、展望の乏しいこの石楠花の森を早く抜け出たい思いが募り、道先だけを見つめ、ひたすら、先へ先へと歩いて行くというつまらない道行となってしまったのである。
ただ、この道は行く先々に青紫の"リンドウ"が咲いていて、そんな私にも僅かなら安らぎを与えてくれるのだった。
道を下る程に空の色が変わって行く。
振り返れば、相変わらず山の上に乳白の雲が懸かり、今しがたまで居た山さえも見えはしないのだが、進む道の先には青空さえ見えて来た。
やがて、石楠花の森が切れ、前方に開けた場所が現れた。 "霧降の滝分岐"に到着したのである。
時計はすでに昼を過ぎ、12時50分を指していた。
鉄山と箕輪の縦走路から1時間経ったことになる。
この"霧降の滝分岐"の案内板を目の前にして、辿ってきた道が正しかった事が素直に嬉しかった。
写真は、今来た道を振り返って撮ったもので、左側に写るトラロープの先を行けば、"霧降の滝"へ行くらしい。
案内板の下には警告と題し次のような文章が記されていた。
下に現在地を示す。
赤丸が現在いる場所で、地図右下に"霧降の滝"があるが、辿り着くにはかなりの急斜面を降りなければならないようである。
緑の丸は、私が霧を呆けて眺めていた谷である。
この先は一度緩やかに上り、湯川の渓谷を遠巻きに見ながら僧悟台の裾野を下りていくようである。
いつしか頭上には青空が広がり、秋の日差しが尾根の道に差し始めている。
霧ではなく、雲の中を歩いて居たのだと悟った。
下る程に木々の背は高くなり、いつしか広葉樹の森へと入ったようである。
大きな岩が重なり、道を塞ぐようにしている場所に辿りついた。
木々に埋もれるように立っていたのは、"見晴し台"の案内板である。
名前の通り、この場所は北東側が開けていて、隣の福島市松川町を見下ろすことができる。
送信所のアンテナが並ぶ左に尖った頂を見せているのは、「笹森山(649,9m)」だろうか、それにしても下界は好天のようである。
なんだか、とてもくやしい。(涙)
下に現在地を示す。青丸は霧降の滝
"霧降の滝"分岐から、約20分、時刻は13時19分となった。
13時22分、"見晴し台"を後にする。
この先、地図の等高線の間隔が狭くなっていることに多少の不安はあるが、ゆるりと降りていけばいいだろう。
あまり人が通らぬ森の道は、枯れ葉に埋もれ、木漏れ日を受けて穏やかな佇まいを見せている。
しだいに沢音が耳に届くようになってきた。湯川に近づいている事を実感する。
右膝の痛みは相変わらすだが、枯れ葉の道は堀道のような段差がないので優しく感じる。
このような道が最後の目標地となる湯川まで続くのだろうと、正直ほっとする気持になってきた。
が、しかし。
枯れ葉の道は途切れ、目の前に現れたそれは・・・。
壁?
なだらかに下り続けた道とは全く違う、道先の見えぬ、壁と見まがう急峻な坂道が待っていたのである。
・・・・?
地図の道と違う?!
混乱する頭の中で、どこをどう間違ったのだろうと反問する。
いや、"見晴し台"からのここまで分岐で迷うような場所には出会わなかったはず・・・。
ならば、この激坂を行かねばならないのか。
細かなジグザグを描きながら、道は木々の隙間を谷へと続いている。
意を決し、陽の光が余り届かぬ谷底を目指し一歩を踏み出した。
踏ん張りの利かない右膝が悲鳴を上げる。
「最悪だ・・・。」
つい今しがたまで、秋の木漏れ日の中、枯葉を踏みしめながら歩いていた心地よさは、すでに遠い記憶となっていた。
道は狭く滑りやすく、笹の根が道まで伸びている。
気軽にその根を踏んでしまうものなら、間違いなく足を持って行かれる。
このトラップは数え切れない程、このジグザグ道にあって、その度に声にならない声を発する事となった。
もし、誰かが近くにいたなら、さぞかし、やかまし事であっただろう。
この激坂が本当に正しい道かどうか、不安ではあったが、途中何箇所かに案内板があり、塩沢口に続く道である事を確信した。
この坂道をジグザクと書いたが、自然の造詣に文字通りの道があるはずもなく、左の後が必ず右に行くとは限らない訳で、 瞬時に行くべき方向の判断が出来ない、そんな曖昧な場所も多々あるのである。
その時も、立ち止まり辺りの様子を確認し、進むべき道を探したのである。
見廻せば、右下方向にピンクの紐が横に張られているのを見つける事ができた。
ああ、そっちか・・。
そう思い足を進めたのだった。
次の瞬間。
・・・・・・・・・!
目の前が真っ暗になり、斜面を滑り落ちる感覚を背中で感じながら必死に「止まれ、止まれ」と念じていた。
・・・・・・・・・。
「止まった・・!」
私は谷に頭を向け、仰向けの状態で斜面に倒れていた。
一体自分の身に何が起きたのか、しばらくの間理解できずにいた。
滑落したのである。
反転し、枯れ葉や苔にまみれた身体を起こした。
右肘と右手に違和感があり、額にも痛みを感じたが、歩行するのには支障はないと判断した。
振り返り、落ちただろう場所を仰ぎ見る。
高さは2.5m程だろうか、私はジグザグに下りるべき道を、真っ直ぐにショートカットしてしまったようである。
我が身に起こった出来事だが、今も断片的にしか思い出せないのである。
頭に感じたゴツンという衝撃。
斜面を滑り落ちて行く感触。
谷底まで落ちていくという恐怖。
斜面に必死に立てた爪先の感覚。
・・・・・・。
それは、たかだか数秒の、いや、一瞬の出来事だったが、「落ちた」という事実が、大きな衝撃となり心に残ったのは事実である。
衣服に付いた土を払いながら、拭いきれない「敗北感」というようなものが心に重くのしかかっていることを、感じずにはいられなかった。
しかし、その事実は事実として、先に進まなければならないのである。
この後も、この滑りやすい急坂はしばらく続き、幾度となく足を取られそうになったが、ついにその終わりが来たようである。
壁を登るような道は終わり、湯川に沿って緩やかに下り始めたのである。
沢音も次第にその強さを増し、身近にある事を知らせてくれる。
道は"草鞋(わらじ)沼"と案内板が立つ沼脇に出た。
正直に言えば、名のある沼とは思えぬ佇まいであるのが残念である。
この沼に着く途中の道で私はちょっと恐い思いをした。
道脇の笹藪をガサガサと移動する物音が聴こえてきたのである。
小動物の移動にしては大きく、私の存在に気付いて身を潜める風もなく、その音の主は私の進行方向に進んでいるようで、 しばらくの間、並んで歩く事となったのである。
くろがね小屋で買った"鐘"は、"霧の谷底"で小休止した際ザックに下げて来たのだが、この時ばかりは、その鐘の音が 幾分なりとも私の心に励ましとなって、響いてくれた気がする。
結局、笹薮の主が突然道に飛び出してくるような事もなく、無事に、ここに着いたのだった。
しかし、一体なんだったのだろう?
14時3分。
湯川に到着した。
「見晴し台」から40分も掛かってしまったが、心配していた橋の流出もなく、しっかりと両岸を跨いでいてくれた。
最後の最後で、再び川へ転落となってはシャレにならないので、ここは慎重に渡ることとした。(笑)
写真は、橋を渡り終えた後に振り返って撮ったものである。
湯川を再び越えた事で、僧悟台のコースを踏破したのである。
"滑落"というアクシデントに未だ心中穏やかさとは遠いものであるが、この先の"馬返し"を過ぎれば、人目が気になる道に出る事となる。
身体の状態を落ち着いて確認することにした。
ザックを下ろし、カッパ代わりのウォームアップウェアウェアを脱ぎ、痛む右肘を見る。
痛む訳である。右肘の付け根とでもいうべき場所が一目で分かる程に腫上っていた。(驚)
額左側にはうっすらと血が滲んでいて、川の水で顔を洗った時にヒリヒリと痛みが走ったが、引っかき傷程度だろう。
一つ溜息をついて、身支度を済ませた。
ウォームアップのズボンは泥だらけであったが・・・。
川岸の小さな坂を上り切れば、ほんの数分で今回のターニングポイントと記した"馬返し"の案内板に出た。
今朝、この場所を通過してから7時間20分を要して再び戻って来たのである。
塩沢口に向かう階段状の道を、右膝の痛みに耐えながら下り、きのこ狩りと思われる人達を横目で見ながら、 塩沢スキー場を横切り、愛車の待つ駐車場に着いたのは、14時30分だった。
去年に続いての安達太良登山は、くろがね小屋の"マグカップ"と"鈴(鐘)"を手に入れるという目的であったが、 思いつきとはいえ、一般の登山客があまり使う事のない"僧悟台"のコースを踏破する事が出来た。
ただ、常に単独行の私にとって今回の"滑落"は今後の山中での行動に少なからず影響することだろう。
それは、加齢から来る問題なのか、それとも日頃の鍛錬が問題になるのか、何れにしろ、自分自身に問いかけるべき事には違いないのである。
泥に汚れた衣服と、濡れた靴を脱ぎ捨てて、折り畳み椅子に腰を下ろせば、 空は秋晴れの良い天気で、安達太良山は、やはり雲が掛かっておりました。
「僧悟台経由で登山するハイカーへ」ふむふむ・・・。
塩沢登山口、または笹平よりの僧悟台コースの登山道
は今後(12年より) 高山植物保護のため、
山道の下草刈り、枝きり等の整備はいたしません。
コースは笹やぶ、沢崩れ、窪地の水たまりなど
自然状態にもどっております。
特に、霧の時など今までも雨水の流れによって迷路
の地域があります。 地理的判断ができない場合は、
危険をともないますので入らないでください。
コースを熟知した先達で入山を要望します。
二本松市
"高山植物保護のため・・・整備はいたしません。"それはそれで良いと思うよ。
"霧の時など・・雨水の流れによって迷路の地域があります"って、まさに今がその時じゃないですか!
"コースを熟知した先達で入山を要望します。"えっ、今日初めて来たんですけどー。
・・・・・・・・
・・・・・・・・。
"危険をともないます"
"危険をともないます"
"危険をともないます"
どーする、オレ?
ハイ、それ承知で来ていまーす。
実を言えば、先に今回の安達太良登山のもう一つの目的と書いたが、その目的こそ、 何を隠そう、この僧悟台の踏破なのであーる。(で、大丈夫なわけ?)
昨年は塩沢口から安達太良山頂の往復だった事もあり、くろがね小屋へ行くついでに、去年とは違う道を歩きたいという 安易な思いつきで選んだコースが、今行こうとする僧悟台の道なのである。(やっぱり、思いつきか・・・。)
この僧悟台のコースを地図で見る限り、登山道を示す破線は湯川を目指し、なだらかに破綻無く下っている。
それはある意味、単調でつまらないと言えるかもしれない。
しかし、問題なのは"地理的判断"にやや難がある"先達"でない私が行くという事なのである。
道を見失う不安と、右膝の痛みが相まって不安極まりないのだが、ここまで来た以上、先に進む以外、まさしく道は無いのである。(困ったねー)
意を決し、ターニングポイントと自ら決めたあの場所、そう、あの"馬返し"を目指し、再び笹の道を下り始めた。
見晴らしの悪い笹の道をどれ程下って来ただろう。
笹の斜面が切れ、やっと、視界の開けた平坦な場所に出る事ができた。
谷の底のようなその場所は、大きな岩が此処そこに転がっていて、ふと見上げた空に、鉄山と思しき岩肌が風に千切れた霧の隙間から垣間見えた。
私は道脇の少し平べったい岩にザックを下ろし小休止とした。
しかし、ここはなんて静かなのだろう、頭上の霧は確かに流れてはいるのだが、それさえ遠い所の景色のようである。
暫くの間、私は呆けたように岩や枯れ枝を舐めるように流れる霧を見ていた。
どれ程の時間そうしていたのだろう。突然、霧の向うから甲高い鳥の鳴き声に我に返った。
先は長いのである。鳥の鳴き声を合図に、再び身支度を整え(ずり落ちるズボンを引き上げ)、どこか殺伐としたこの風景を後にした。
長く休んでいた気がしていたが、後にGPSのログで確認したところ、この場所に居たのはたかだか7分間であった。ちょっと不思議な気がした。
この後、少し登り返すと背の高い石楠花の木々を縫うような道が続くのだが、多少の上り下りはあっても、概ね緩やかに下って行くのである。
途中に、二箇所程小さな沢を渡渉する場所があった。対岸の踏み跡が見え難い事もあり道を見失う不安を感じたが、なんとか先に続く道を見つけ進む事が出来た。
ただ、注意にもあったように木々の枝払いなどの手が入っていない事もあり、伸びるに任せた枝に道が覆い隠されている箇所に何度も遭遇した。
石楠花のトンネル道はほとんどが堀と化しており、そのほとんどに雨水が溜りぬかるみとなっていた。
右膝を庇いながら、滑りやすい堀に降りる動作はぎこちなく、一段と体力を消耗させる事となった。
それ故、展望の乏しいこの石楠花の森を早く抜け出たい思いが募り、道先だけを見つめ、ひたすら、先へ先へと歩いて行くというつまらない道行となってしまったのである。
ただ、この道は行く先々に青紫の"リンドウ"が咲いていて、そんな私にも僅かなら安らぎを与えてくれるのだった。
道を下る程に空の色が変わって行く。
振り返れば、相変わらず山の上に乳白の雲が懸かり、今しがたまで居た山さえも見えはしないのだが、進む道の先には青空さえ見えて来た。
やがて、石楠花の森が切れ、前方に開けた場所が現れた。 "霧降の滝分岐"に到着したのである。
時計はすでに昼を過ぎ、12時50分を指していた。
鉄山と箕輪の縦走路から1時間経ったことになる。
この"霧降の滝分岐"の案内板を目の前にして、辿ってきた道が正しかった事が素直に嬉しかった。
写真は、今来た道を振り返って撮ったもので、左側に写るトラロープの先を行けば、"霧降の滝"へ行くらしい。
案内板の下には警告と題し次のような文章が記されていた。
ハイカーの皆さんへ廃コース=通行禁止では無く、私のように思いつきで行ける場所ではありませんヨということらしい。
八幡滝-中の滝-霧降の滝は、コース
として地図に記入されておりますが、
危険につき廃コースとします。
沢歩きの登山者は、万全な準備と自覚
ある行動で入山してください。
危険なコースで、滑りやすく
雨降り、雨後一瞬に増水します。
下に現在地を示す。
赤丸が現在いる場所で、地図右下に"霧降の滝"があるが、辿り着くにはかなりの急斜面を降りなければならないようである。
緑の丸は、私が霧を呆けて眺めていた谷である。
この先は一度緩やかに上り、湯川の渓谷を遠巻きに見ながら僧悟台の裾野を下りていくようである。
いつしか頭上には青空が広がり、秋の日差しが尾根の道に差し始めている。
霧ではなく、雲の中を歩いて居たのだと悟った。
下る程に木々の背は高くなり、いつしか広葉樹の森へと入ったようである。
大きな岩が重なり、道を塞ぐようにしている場所に辿りついた。
木々に埋もれるように立っていたのは、"見晴し台"の案内板である。
名前の通り、この場所は北東側が開けていて、隣の福島市松川町を見下ろすことができる。
送信所のアンテナが並ぶ左に尖った頂を見せているのは、「笹森山(649,9m)」だろうか、それにしても下界は好天のようである。
なんだか、とてもくやしい。(涙)
下に現在地を示す。青丸は霧降の滝
"霧降の滝"分岐から、約20分、時刻は13時19分となった。
13時22分、"見晴し台"を後にする。
この先、地図の等高線の間隔が狭くなっていることに多少の不安はあるが、ゆるりと降りていけばいいだろう。
あまり人が通らぬ森の道は、枯れ葉に埋もれ、木漏れ日を受けて穏やかな佇まいを見せている。
しだいに沢音が耳に届くようになってきた。湯川に近づいている事を実感する。
右膝の痛みは相変わらすだが、枯れ葉の道は堀道のような段差がないので優しく感じる。
このような道が最後の目標地となる湯川まで続くのだろうと、正直ほっとする気持になってきた。
が、しかし。
枯れ葉の道は途切れ、目の前に現れたそれは・・・。
壁?
なだらかに下り続けた道とは全く違う、道先の見えぬ、壁と見まがう急峻な坂道が待っていたのである。
・・・・?
地図の道と違う?!
混乱する頭の中で、どこをどう間違ったのだろうと反問する。
いや、"見晴し台"からのここまで分岐で迷うような場所には出会わなかったはず・・・。
ならば、この激坂を行かねばならないのか。
細かなジグザグを描きながら、道は木々の隙間を谷へと続いている。
意を決し、陽の光が余り届かぬ谷底を目指し一歩を踏み出した。
踏ん張りの利かない右膝が悲鳴を上げる。
「最悪だ・・・。」
つい今しがたまで、秋の木漏れ日の中、枯葉を踏みしめながら歩いていた心地よさは、すでに遠い記憶となっていた。
道は狭く滑りやすく、笹の根が道まで伸びている。
気軽にその根を踏んでしまうものなら、間違いなく足を持って行かれる。
このトラップは数え切れない程、このジグザグ道にあって、その度に声にならない声を発する事となった。
もし、誰かが近くにいたなら、さぞかし、やかまし事であっただろう。
この激坂が本当に正しい道かどうか、不安ではあったが、途中何箇所かに案内板があり、塩沢口に続く道である事を確信した。
この坂道をジグザクと書いたが、自然の造詣に文字通りの道があるはずもなく、左の後が必ず右に行くとは限らない訳で、 瞬時に行くべき方向の判断が出来ない、そんな曖昧な場所も多々あるのである。
その時も、立ち止まり辺りの様子を確認し、進むべき道を探したのである。
見廻せば、右下方向にピンクの紐が横に張られているのを見つける事ができた。
ああ、そっちか・・。
そう思い足を進めたのだった。
次の瞬間。
・・・・・・・・・!
目の前が真っ暗になり、斜面を滑り落ちる感覚を背中で感じながら必死に「止まれ、止まれ」と念じていた。
・・・・・・・・・。
「止まった・・!」
私は谷に頭を向け、仰向けの状態で斜面に倒れていた。
一体自分の身に何が起きたのか、しばらくの間理解できずにいた。
滑落したのである。
反転し、枯れ葉や苔にまみれた身体を起こした。
右肘と右手に違和感があり、額にも痛みを感じたが、歩行するのには支障はないと判断した。
振り返り、落ちただろう場所を仰ぎ見る。
高さは2.5m程だろうか、私はジグザグに下りるべき道を、真っ直ぐにショートカットしてしまったようである。
我が身に起こった出来事だが、今も断片的にしか思い出せないのである。
頭に感じたゴツンという衝撃。
斜面を滑り落ちて行く感触。
谷底まで落ちていくという恐怖。
斜面に必死に立てた爪先の感覚。
・・・・・・。
それは、たかだか数秒の、いや、一瞬の出来事だったが、「落ちた」という事実が、大きな衝撃となり心に残ったのは事実である。
衣服に付いた土を払いながら、拭いきれない「敗北感」というようなものが心に重くのしかかっていることを、感じずにはいられなかった。
しかし、その事実は事実として、先に進まなければならないのである。
この後も、この滑りやすい急坂はしばらく続き、幾度となく足を取られそうになったが、ついにその終わりが来たようである。
壁を登るような道は終わり、湯川に沿って緩やかに下り始めたのである。
沢音も次第にその強さを増し、身近にある事を知らせてくれる。
道は"草鞋(わらじ)沼"と案内板が立つ沼脇に出た。
正直に言えば、名のある沼とは思えぬ佇まいであるのが残念である。
この沼に着く途中の道で私はちょっと恐い思いをした。
道脇の笹藪をガサガサと移動する物音が聴こえてきたのである。
小動物の移動にしては大きく、私の存在に気付いて身を潜める風もなく、その音の主は私の進行方向に進んでいるようで、 しばらくの間、並んで歩く事となったのである。
くろがね小屋で買った"鐘"は、"霧の谷底"で小休止した際ザックに下げて来たのだが、この時ばかりは、その鐘の音が 幾分なりとも私の心に励ましとなって、響いてくれた気がする。
結局、笹薮の主が突然道に飛び出してくるような事もなく、無事に、ここに着いたのだった。
しかし、一体なんだったのだろう?
14時3分。
湯川に到着した。
「見晴し台」から40分も掛かってしまったが、心配していた橋の流出もなく、しっかりと両岸を跨いでいてくれた。
最後の最後で、再び川へ転落となってはシャレにならないので、ここは慎重に渡ることとした。(笑)
写真は、橋を渡り終えた後に振り返って撮ったものである。
湯川を再び越えた事で、僧悟台のコースを踏破したのである。
"滑落"というアクシデントに未だ心中穏やかさとは遠いものであるが、この先の"馬返し"を過ぎれば、人目が気になる道に出る事となる。
身体の状態を落ち着いて確認することにした。
ザックを下ろし、カッパ代わりのウォームアップウェアウェアを脱ぎ、痛む右肘を見る。
痛む訳である。右肘の付け根とでもいうべき場所が一目で分かる程に腫上っていた。(驚)
額左側にはうっすらと血が滲んでいて、川の水で顔を洗った時にヒリヒリと痛みが走ったが、引っかき傷程度だろう。
一つ溜息をついて、身支度を済ませた。
ウォームアップのズボンは泥だらけであったが・・・。
川岸の小さな坂を上り切れば、ほんの数分で今回のターニングポイントと記した"馬返し"の案内板に出た。
今朝、この場所を通過してから7時間20分を要して再び戻って来たのである。
塩沢口に向かう階段状の道を、右膝の痛みに耐えながら下り、きのこ狩りと思われる人達を横目で見ながら、 塩沢スキー場を横切り、愛車の待つ駐車場に着いたのは、14時30分だった。
去年に続いての安達太良登山は、くろがね小屋の"マグカップ"と"鈴(鐘)"を手に入れるという目的であったが、 思いつきとはいえ、一般の登山客があまり使う事のない"僧悟台"のコースを踏破する事が出来た。
ただ、常に単独行の私にとって今回の"滑落"は今後の山中での行動に少なからず影響することだろう。
それは、加齢から来る問題なのか、それとも日頃の鍛錬が問題になるのか、何れにしろ、自分自身に問いかけるべき事には違いないのである。
泥に汚れた衣服と、濡れた靴を脱ぎ捨てて、折り畳み椅子に腰を下ろせば、 空は秋晴れの良い天気で、安達太良山は、やはり雲が掛かっておりました。
安達太良山-2010- 9 ― 2010年12月07日 14時50分55秒
一向に回復の兆しさえ見えない天気だが、鉄山非難小屋の壁が多少なりとも風から身を守ってくれるのが正直嬉しい。
岩に腰を下ろし、水分の補給などしながら、これから進むべき道の彼方を思いやる。
すっかり、雨に濡れる事には慣れたが、ずり落ちてくるズボンが鬱陶しい。(笑)
ベルト代わりにウェストポーチで押さえて、鉄山非難小屋を後にした。
尾根というには広く、所々に大きめの石が転がる平坦な道が霞の中に続いている。
幅広の登山道は踏み跡も目立たず、もしや何処かで進路を誤ったのではないかと小心者の心がざわつく。
晴れていれば、好きな場所にシートを広げ、気兼ねなく昼寝さえ出来そうな場所ではあるが、白い霧が立ち込める今日は 行き違う人もいないのだ。
やがて、道は笹の生い茂る段差の大きい狭い下り坂となった。
ここに来て、少し違和感のあった右膝が悲鳴を上げ始めた。
笹に埋もれるように掘られた道は小さなジグザグを描きながら下っていくのだが、大きな段差を下りる度、右膝に激痛が走るようになったのである。
引き返す事も考えたが、ここまで下りて来てしまった今、登り返す気力は無かった。
そんな笹の堀道を下る途中、大学生と思われる集団が登って来た。
男性より女性が多いグループで、鬼面山から来たと先頭のリーダーらしき男性が教えてくれた。
この悪路の終点はさほど遠くは無いという、グループリーダーの言葉に気を取り直し再び下り始める。
・・・・・。
でもね、意外と長かったんだよ・・・。(涙)
忌まわしい笹に埋もれた堀道も終わり、やっと笹が広く生い茂る平坦な場所に出た。
「笹平」と呼ばれる所だろうか。
両脇を笹に縁取られた道の先に、案内の標識が見えて来た。
11時53分、僧悟台の分岐に到着したのである。
くろがね小屋を出発して、1時間40分が経過していた。
岩に腰を下ろし、水分の補給などしながら、これから進むべき道の彼方を思いやる。
すっかり、雨に濡れる事には慣れたが、ずり落ちてくるズボンが鬱陶しい。(笑)
ベルト代わりにウェストポーチで押さえて、鉄山非難小屋を後にした。
尾根というには広く、所々に大きめの石が転がる平坦な道が霞の中に続いている。
幅広の登山道は踏み跡も目立たず、もしや何処かで進路を誤ったのではないかと小心者の心がざわつく。
晴れていれば、好きな場所にシートを広げ、気兼ねなく昼寝さえ出来そうな場所ではあるが、白い霧が立ち込める今日は 行き違う人もいないのだ。
やがて、道は笹の生い茂る段差の大きい狭い下り坂となった。
ここに来て、少し違和感のあった右膝が悲鳴を上げ始めた。
笹に埋もれるように掘られた道は小さなジグザグを描きながら下っていくのだが、大きな段差を下りる度、右膝に激痛が走るようになったのである。
引き返す事も考えたが、ここまで下りて来てしまった今、登り返す気力は無かった。
そんな笹の堀道を下る途中、大学生と思われる集団が登って来た。
男性より女性が多いグループで、鬼面山から来たと先頭のリーダーらしき男性が教えてくれた。
この悪路の終点はさほど遠くは無いという、グループリーダーの言葉に気を取り直し再び下り始める。
・・・・・。
でもね、意外と長かったんだよ・・・。(涙)
忌まわしい笹に埋もれた堀道も終わり、やっと笹が広く生い茂る平坦な場所に出た。
「笹平」と呼ばれる所だろうか。
両脇を笹に縁取られた道の先に、案内の標識が見えて来た。
11時53分、僧悟台の分岐に到着したのである。
くろがね小屋を出発して、1時間40分が経過していた。
安達太良山-2010- 8 ― 2010年11月28日 20時28分47秒
"マグカップ"と"鈴"を手にした事で、今回の安達太良登山の目的は果たしたのだが、実はもう一つやりたい事があったのである。
それは前回の安達太良登山で成し得なかった、"鉄山登頂"と数ある安達太良ルートでもマイナーな"僧悟台ルート"の走破なのである。
しかし、今日の安達太良、雨混じりの風が吹き荒れる最悪の空模様である。
特に、山頂へ続く「牛の背」、「馬の背」と呼ばれる尾根筋は強風で有名な場所なのである。
前回は風の無い好天に恵まれ、その強風を感じる事は無かったが、今日は間違いなく吹き荒れているだろう。
「行くか」、「帰るか」・・・・。 うーん。登りながら考えよう。(アホか)
10時10分、くろがね小屋を後にする。
紅葉の美しいこの時期、休日であることも手伝い登山者は多いのだろうが、この天気に登頂を諦めて降りてくる人達の列が、切れ目無く続いて来る。
そんな下りの列に出会う度、脇に避けて列が行き過ぎるのを待つ時間が長くなる。
多くの登山者の踏み跡に生コン状にぬかるんだ道を登り詰め、峰の辻に着いたのは10時39分である。
写真は昨年の物で、今回は風雨とも強くカメラを出す間も無く、到着時刻をメモしただけでこの場所を離れた。
次に目指すのは「牛の背」である。
この天気でも"頂"を目指す人はいたようで、全身ずぶ濡れ状態で降りて来る。
「こりゃー駄目だな。」と内心思いつつ、反面、足は先を急ごうとする。 10時55分、"牛の背"に到着。
(この写真も昨年の物です。)
霧というか、雲の中に居るといった方が良いのだろう。乳白の霞に安達太良の頂はもちろん、5m先も見えない。
確かに風が強い。
強弱織り交ぜた風が断続的に尾根を越して吹き下りて来る。
取敢えず、写真の案内板の下に身を寄せ、雨具用に準備していたウォームアップウェアのズボンを穿く事にした。
この場所には先客が居て、私が着いた時、その方はちょうどザックから雨具を出していた所だった。
雨具を身に着け身支度を済ませてその方は、私の予想した下りではなく、なんと強風の尾根に登って行ったのである。
これを見て私の気持は決まった。
「鉄山へ行こう。」
一年ぶりの"牛の背"は尾根道であることから強風から身を守ってくれる物などあろうはずもなく、唸りを上げて身体に当たる風には、 立ち止まり、身体を低くして行き過ぎるの待つのみである。
西に広がる沼の平の荒涼とした景色も全く見る事も出来ず、強風に煽られながら鉄山に続く初めての尾根道を歩き始めた。
矢筈森のピーク(1,673m)を越えると"馬の背"と呼ばれる尾根に入る。確かに牛の背よりは細い"背"である。
足元に転がる黒く煤けた岩の欠片に、この山が火山である事を思い出す。
雨とも霧ともつかぬものに全身ずぶ濡れとなったが、風が吹くほどに、顔が濡れる程に、気持はおかしな高揚感に満ち溢れてくる。
尾根とは名ばかりの、展望もない道を歩きながら段々と楽しくなってくるのは何故だろう。
一人笑いそうになる。
ゴツゴツした岩が重なり合う、鉄山の南壁が見えてきた。
持参した1/25000の地図には鉄山の頂は破線上に記されているが、 実際の道は上の写真の岩の重なりを登り切った後、一度西側へ下り、登り返す迂回路となっていた。
写真は鉄山西壁に強風にもめげず咲いていた「シラタマノミ」である。(たぶん) 11時25分、鉄山(1709m)山頂に到着する。
箕輪方面から来たという年配のグループに、くろがね小屋へのルートを尋ねられた。
聞けば、山頂を過ぎ直進したがその先はかなりの急坂であり躊躇していたとの事だった。
晴れていれば見落とす事の無いルートも、今日のような深い雲の中では地図が頼りとなるが、彼らも同じ地図を持参していたのだろうか。
山頂は風雨激しく、カメラを出す間も無く次の目的地の鉄山非難小屋を目指す事とした。
頂上と思った石積に、「安達太良神社」と彫った石の表札のようなものが立て掛けてあった、本当にそこが鉄山山頂だったのだろうか・・。
11時37分、鉄山非難小屋に到着。
入口の赤い扉が印象的だが、何やら男性二人がその扉の補修中。
中は満員との事で、小屋の東側に回り風を避けて小休止する。
それは前回の安達太良登山で成し得なかった、"鉄山登頂"と数ある安達太良ルートでもマイナーな"僧悟台ルート"の走破なのである。
しかし、今日の安達太良、雨混じりの風が吹き荒れる最悪の空模様である。
特に、山頂へ続く「牛の背」、「馬の背」と呼ばれる尾根筋は強風で有名な場所なのである。
前回は風の無い好天に恵まれ、その強風を感じる事は無かったが、今日は間違いなく吹き荒れているだろう。
「行くか」、「帰るか」・・・・。 うーん。登りながら考えよう。(アホか)
10時10分、くろがね小屋を後にする。
紅葉の美しいこの時期、休日であることも手伝い登山者は多いのだろうが、この天気に登頂を諦めて降りてくる人達の列が、切れ目無く続いて来る。
そんな下りの列に出会う度、脇に避けて列が行き過ぎるのを待つ時間が長くなる。
多くの登山者の踏み跡に生コン状にぬかるんだ道を登り詰め、峰の辻に着いたのは10時39分である。
写真は昨年の物で、今回は風雨とも強くカメラを出す間も無く、到着時刻をメモしただけでこの場所を離れた。
次に目指すのは「牛の背」である。
この天気でも"頂"を目指す人はいたようで、全身ずぶ濡れ状態で降りて来る。
「こりゃー駄目だな。」と内心思いつつ、反面、足は先を急ごうとする。 10時55分、"牛の背"に到着。
(この写真も昨年の物です。)
霧というか、雲の中に居るといった方が良いのだろう。乳白の霞に安達太良の頂はもちろん、5m先も見えない。
確かに風が強い。
強弱織り交ぜた風が断続的に尾根を越して吹き下りて来る。
取敢えず、写真の案内板の下に身を寄せ、雨具用に準備していたウォームアップウェアのズボンを穿く事にした。
この場所には先客が居て、私が着いた時、その方はちょうどザックから雨具を出していた所だった。
雨具を身に着け身支度を済ませてその方は、私の予想した下りではなく、なんと強風の尾根に登って行ったのである。
これを見て私の気持は決まった。
「鉄山へ行こう。」
一年ぶりの"牛の背"は尾根道であることから強風から身を守ってくれる物などあろうはずもなく、唸りを上げて身体に当たる風には、 立ち止まり、身体を低くして行き過ぎるの待つのみである。
西に広がる沼の平の荒涼とした景色も全く見る事も出来ず、強風に煽られながら鉄山に続く初めての尾根道を歩き始めた。
矢筈森のピーク(1,673m)を越えると"馬の背"と呼ばれる尾根に入る。確かに牛の背よりは細い"背"である。
足元に転がる黒く煤けた岩の欠片に、この山が火山である事を思い出す。
雨とも霧ともつかぬものに全身ずぶ濡れとなったが、風が吹くほどに、顔が濡れる程に、気持はおかしな高揚感に満ち溢れてくる。
尾根とは名ばかりの、展望もない道を歩きながら段々と楽しくなってくるのは何故だろう。
一人笑いそうになる。
ゴツゴツした岩が重なり合う、鉄山の南壁が見えてきた。
持参した1/25000の地図には鉄山の頂は破線上に記されているが、 実際の道は上の写真の岩の重なりを登り切った後、一度西側へ下り、登り返す迂回路となっていた。
写真は鉄山西壁に強風にもめげず咲いていた「シラタマノミ」である。(たぶん) 11時25分、鉄山(1709m)山頂に到着する。
箕輪方面から来たという年配のグループに、くろがね小屋へのルートを尋ねられた。
聞けば、山頂を過ぎ直進したがその先はかなりの急坂であり躊躇していたとの事だった。
晴れていれば見落とす事の無いルートも、今日のような深い雲の中では地図が頼りとなるが、彼らも同じ地図を持参していたのだろうか。
山頂は風雨激しく、カメラを出す間も無く次の目的地の鉄山非難小屋を目指す事とした。
頂上と思った石積に、「安達太良神社」と彫った石の表札のようなものが立て掛けてあった、本当にそこが鉄山山頂だったのだろうか・・。
11時37分、鉄山非難小屋に到着。
入口の赤い扉が印象的だが、何やら男性二人がその扉の補修中。
中は満員との事で、小屋の東側に回り風を避けて小休止する。
安達太良山-2010- 7 ― 2010年11月25日 18時17分56秒
さて、雨による増水で沢を渡れないという不安が消えた今、当初の目的地である「くろがね小屋」を目指し谷を登るだけとなった。
「六の橋」を渡り谷を少し登ると「天狗の庭」と記された傾いた案内板に出会う。
季節が季節なら、案内の通り"イワカガミ"や"ワタスゲ"などの"「湿地性植物」を眼にすることが出来るのだろうか?
二度目となる今回もそれらしき植生は確認できなかった。(たぶん、見る眼がないだけ。)
そのネーミングに少しばかり「?」の「天狗の庭」を過ぎ、常に傍らにあった沢音も遠くなり、道はその傾斜を大きくしていく。
やがて、頭上が開ける場所に来た。
奥岳登山口からの道との合流点、即ち"塩沢登山道"の終点である。
写真はその終点を、振り返り写したものである。
今来た道は案内標識の右下の縁が少し広くなって見える場所にあり、案内が無ければ見落としてしまいそうである。
視線を戻し、道先を仰ぎ見れば錦秋に縁取られたくろがね小屋が見えてきた。
ゆっくりと、確かめるように歩きはじめる。
8時48分。くろがね小屋に到着した。
今年7月から始めたという小屋の補修も終わったらしく、外壁もきれいに塗装され、紅葉真っ盛りの風景に際立って見える。
しかし、華やかな小屋周りとは打って変わり、山々は厚い雲に覆われ尾根筋を見る事はできない。
尾根を越えて吹き降ろす風は強く、時折、雨混じりの風がウィンドブレーカーに当たりパチパチと音を立てる。
沢沿いの樹林帯の中を歩いて来た私に、この雲と風は思いもよらぬものであったが、とりあえず目的の"モノ"を求めるべく小屋に入る事とした。
小屋の東側のテラスに廻りこむと、風を避ける為だろうか、十数名の登山客休んでいた。
中に入ろうとガラス戸を開けると、すかさず、中にいた小屋の従業員と思(おぼ)しき人がこうのたもうた。
「営業は10時からです。」
「エッ・・・?」
まったく予想外のお言葉に、しばし唖然とする自分。(黙)
確かに、このくろがね小屋を管理する「(財)福島県観光物産交流協会総務部」のホームページには年中無休とは書いてあったが、 営業時間は書いて・・・、無かったね・・・。(トホホ)
さて、どうしたものか。
私は小屋から少し離れたベンチで思案する事とした。(トボトボ)
"開店時間"まではまだ1時間以上もある、ここで開店を待つか、それとも先に進み、帰りに再び訪ねるか・・。
でもね、それだと行き帰り同じ道のピストンになるし・・・。
それより、上から降りてきた登山客が小屋の人と話していたけど、尾根は相当強い風が吹いているらしいし・・・。
「んーー、どうする、オレ?」
沢から登って来た身体の熱も、"安達太良おろし"にザワザワと冷えてきた。
自己都合の計画倒れは常の事と、私は"開店"いや"営業開始"を待つことにしたのである。
・・・・・・・。 やがて、お待ちかねの10時。開店である。
小屋脇の水道で泥に汚れた靴を丁寧に洗い(靴を洗わないで入店すると、小屋の人に注意されます。)再びガラス戸を開けた。
天気のせいもあるのだろうが、中はかなり薄暗い。
懐かしいダルマストーブには火が入っていた。
会計の所に目的の物を発見!
1時間以上待って、手に入れた物は"くろがね小屋特製マグカップ"と"くろがね小屋特製の鈴?鐘?"でありました。 お買い物に要した時間は、3分。(涙) 念願の二品をザックに入れ、洋々と外に出たのは良いけれど、この時点でまだどうするかは決めていなかったのである。(えー?)
「六の橋」を渡り谷を少し登ると「天狗の庭」と記された傾いた案内板に出会う。
季節が季節なら、案内の通り"イワカガミ"や"ワタスゲ"などの"「湿地性植物」を眼にすることが出来るのだろうか?
二度目となる今回もそれらしき植生は確認できなかった。(たぶん、見る眼がないだけ。)
そのネーミングに少しばかり「?」の「天狗の庭」を過ぎ、常に傍らにあった沢音も遠くなり、道はその傾斜を大きくしていく。
やがて、頭上が開ける場所に来た。
奥岳登山口からの道との合流点、即ち"塩沢登山道"の終点である。
写真はその終点を、振り返り写したものである。
今来た道は案内標識の右下の縁が少し広くなって見える場所にあり、案内が無ければ見落としてしまいそうである。
視線を戻し、道先を仰ぎ見れば錦秋に縁取られたくろがね小屋が見えてきた。
ゆっくりと、確かめるように歩きはじめる。
8時48分。くろがね小屋に到着した。
今年7月から始めたという小屋の補修も終わったらしく、外壁もきれいに塗装され、紅葉真っ盛りの風景に際立って見える。
しかし、華やかな小屋周りとは打って変わり、山々は厚い雲に覆われ尾根筋を見る事はできない。
尾根を越えて吹き降ろす風は強く、時折、雨混じりの風がウィンドブレーカーに当たりパチパチと音を立てる。
沢沿いの樹林帯の中を歩いて来た私に、この雲と風は思いもよらぬものであったが、とりあえず目的の"モノ"を求めるべく小屋に入る事とした。
小屋の東側のテラスに廻りこむと、風を避ける為だろうか、十数名の登山客休んでいた。
中に入ろうとガラス戸を開けると、すかさず、中にいた小屋の従業員と思(おぼ)しき人がこうのたもうた。
「営業は10時からです。」
「エッ・・・?」
まったく予想外のお言葉に、しばし唖然とする自分。(黙)
確かに、このくろがね小屋を管理する「(財)福島県観光物産交流協会総務部」のホームページには年中無休とは書いてあったが、 営業時間は書いて・・・、無かったね・・・。(トホホ)
さて、どうしたものか。
私は小屋から少し離れたベンチで思案する事とした。(トボトボ)
"開店時間"まではまだ1時間以上もある、ここで開店を待つか、それとも先に進み、帰りに再び訪ねるか・・。
でもね、それだと行き帰り同じ道のピストンになるし・・・。
それより、上から降りてきた登山客が小屋の人と話していたけど、尾根は相当強い風が吹いているらしいし・・・。
「んーー、どうする、オレ?」
沢から登って来た身体の熱も、"安達太良おろし"にザワザワと冷えてきた。
自己都合の計画倒れは常の事と、私は"開店"いや"営業開始"を待つことにしたのである。
・・・・・・・。 やがて、お待ちかねの10時。開店である。
小屋脇の水道で泥に汚れた靴を丁寧に洗い(靴を洗わないで入店すると、小屋の人に注意されます。)再びガラス戸を開けた。
天気のせいもあるのだろうが、中はかなり薄暗い。
懐かしいダルマストーブには火が入っていた。
会計の所に目的の物を発見!
1時間以上待って、手に入れた物は"くろがね小屋特製マグカップ"と"くろがね小屋特製の鈴?鐘?"でありました。 お買い物に要した時間は、3分。(涙) 念願の二品をザックに入れ、洋々と外に出たのは良いけれど、この時点でまだどうするかは決めていなかったのである。(えー?)